~ 馬にまつわる思い出話 ~

中学生の頃,アメリカ人の女の子と少しの間手紙のやり取りをしていた。
アメリカ東部の州の農場の経営者の娘で,ジュリーという名前だった。
年齢はわたしよりも1歳ほど下だったと思うから,あの当時12歳くらいだったと思う。

今みたいにインターネットが各家庭に普及しているわけではなかったから,わざわざ手書きの手紙を書き,写真やプレゼントを郵送で贈りあっていた。

英語には苦労したけれど(なにしろ相手は母国語なので長文を送ってくる),アメリカの風景の写った写真や,ジュリーちゃんの作ったブレスレットなどはとても嬉しかった。


 ジュリーちゃんがくれたテディベア
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写真に写っていたのは,地平線まで続く広大な農場や,4階建てのお屋敷や,飼っている犬たちなど(ほかにも猫を飼っていると手紙には書かれていた)。
その中の1枚に,馬に乗ったジュリーちゃんの姿があった。

ジュリーちゃんは乗馬をする女の子だった。

別の1枚には馬だけが写っており,裏面に「My horse」と書かれていた。

また別のときには,乗馬服のジュリーちゃんが障害を飛んでいる写真が送られてきた。何かの大会に出場した時の写真らしかった。

わたしと同じくらいの女の子が自分の馬を持って,しかも乗りこなしているという事実にびっくりしてしまった。
身近にはそんな友達は1人もいなかったから。

大きなお屋敷に住み,私立の女子校に通い,広い農場で自分の馬に乗っている毎日。
まったく違う世界に生きている人のように思えた。


乗馬の練習を続けていると,時々「なんで乗馬始めようと思ったんですか」と訊かれることがある。
もっともらしい理由はすぐにいくつも思い浮かぶのだけど,どこかで返事に窮している自分がいることにも気づいている。

正直,馬に乗れなくても日常生活には何の支障もないし,馬乗りが上手くなっても,それだけで人間的に優れた人物になるわけでもない。

けれど,人間は不思議なもので,一言では説明できないような動機で何かに夢中になってしまったりする(むしろ,言葉で説明できないような理由でこそ夢中になるのかも)。

もしかしたら,わたしは,あの当時「わたしには無理だ」「住む世界が違う」と思ったものに対して,「そんなことない」と言ってあげたかったのかもしれない。

あるいは,自分で勝手に限界を定めて,その世界を見ようともしなかったことに憤りを感じていたのかもしれない。


そんな壮大な動機の掘り下げをしたところで,いつもの乗馬クラブに行ってみれば,馬はただ可愛くて,スタッフはとにかく優しくて,馬に乗ることは純粋に楽しい。

やっぱり,ただそれだけが理由かも,と思ったりする。


ジュリーちゃんとの手紙のやり取りはいつの間にか途絶え,彼女が今どうしているのかはわからない。
でも,あの頃,ジュリーちゃんはあんなに嬉しそうに馬と一緒に写真に写っていたのだから,今でも馬には乗っているんじゃないかなぁと思っている。






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