今日もお馬さんとジャンプ♪

速歩で障害飛越の練習をする。
いつものように,まずは軽速歩で地上横木を通過。
そしてクロスバーを通過。
さらに垂直障害を通過。
まだバランスの取り方が上手くなく,障害を跳んだ後に体勢を立て直すのに苦労している。
とにかく,一回,一回を,注意深く,色々工夫しながら丁寧に跳んでいくしかない。
脚の位置,気を付けること!
上半身,前に倒れないこと!
跳んだ後,拳をすぐに戻すこと!
手綱の長さは左右で同じになるように!
何回か障害飛越の練習をしたあと,障害の数が増やされた。
地上横木の向こうに,クロスバー,そしてその向こうに垂直障害。
Σ(=゚ω゚=;) ちょっと待って,これって,1個目の障害跳んだ後,次の障害跳ぶまでの間,どうすればいいの? どういう動きになるの!?
考える間もなく障害が迫り,馬ジャンプ!続けてジャンプ!
とにかく,ガタンガタンとした動きの馬に死ぬ気で立ち乗りして通過。
すぐに体勢を戻せない。危険なので常歩にして停止。内側の手綱ばかり強く引いてしまうので,馬が馬場の中央に寄っていってしまう。
かなり無茶なことをしているように思えるのだけれど,指導員さんのアドバイスに従いながら,何度か同じ障害を跳ぶ。良いバランスで飛越することと,飛越後に体勢を戻す(わたしの場合主に脚と拳を戻す)ことを集中的に練習する。
さらに信じられないことに,この後,なんともう一つ障害が増やされた!
地上横木 → クロスバー → 垂直障害 → 垂直障害
前方にいくつもそびえ立つ(と言ってもすべて80㎝以下)障害を目にしたら,さすがに恐怖心から ためらいの気持ちが生まれたのだけれどΣ(=゚ω゚=;),馬はもう跳ぶ気で障害に向かっている。
今更後には引けない……!
(ええい!! 乗りかかった船だ!!(;゚Д゚)!!)
心の中で叫んで,障害連続3つ跳んだ。
……実際に乗っているのは,船じゃなくて馬なんだけどね。(乗りかかった馬?)
今調べたら,「乗りかかった馬」って言葉本当にあるんだね。意味は「乗りかかった船」と同じ。知らなかった。今度から使ってみよう。
さて,勢いで連続障害跳んでみた結果,「自らの意志で跳ぶお馬様に必死でしがみついている人間」という図が発生する。
……ま,とりあえず,落ちなかったからよしとしよう(≡ω≡;)
お馬さんはかなり頑張ってくれたんだけど,人間(わたし)がダメだった。
バランス崩しまくり。指導員さんに言われて体勢立て直すんだけど,拳も戻らず,障害飛越終わってから,すぐに馬をコントロールできずに蹄跡に戻れない。
どうにか障害3つ跳び越えるのがやっとって感じ。
それにしても,多少入りがダメでもちゃんと跳んでくれるお馬さんって,心底ありがたい存在だと思った(´;ω;`)
急停止とか急な方向転換とかやらないでいてくれるだけで,初心者のわたしはどれだけ助かっていることか(ノд・。)
「馬が先生です」とか,「馬に教えられる」って言葉を以前からよく聞いていた。
でも,それがどういう意味なのか,実は今までよくわかっていなかった。
今日,ちょっとわかったような気がする。
馬のほうがベテランだから,やることをわかっていて,乗り手の下手さをカバーしてくれるのだ。
おかげでわたしは,まずは動きに慣れるところから練習できる。
ああ……なんだか泣けるほどお馬さんが神々しく思えてきた.。゚+.(´;ω;`)゚+.゚
ありがとう~.。゚+.(つд⊂)゚+.゚
そして,何度同じことを注意されてもなかなか直らないわたしに,サービス業とはいえ笑顔で注意を促し続ける指導員さんの根気に敬服。
「だから脚の位置違うって言ってんだろ!!!(*`Д') 怒!!」
とかならないんだよ(心の中では思ってるかも(´∀`;))。
まあ,明らかにダメなのに笑顔を向けられるからこそ怖さを感じるっていうのはあるんだけどね。
ちなみに,この3つ並んだ障害,何度か通過する練習をしたのだけれど,最後の回でお馬さんが直前で駈歩になってしまい,直前過ぎて速歩に戻せないのでそのまま駈歩で通過した。
彼(お馬さん),走ってるうちにエンジンがガンガンかかってくるタイプだから,後半になるほど勢いついて制御が大変なのよ(´Д⊂)
でも,速歩で障害跳んだ後,駈歩になってしまうのは,指導員さん曰く,わたしが走らせているらしい。
バランスを崩すと無意識に脚で締めてしまうらしく,さらに手綱も緩くなっているので,それが推進になっているのだそうだ。
そうか……ただ単にお馬さんが興奮しているわけじゃなかったんだね(´・ω・`)
指導員さんは,障害飛越後に拳を戻して馬の制御を取り戻すことを「馬が手に戻ってくる」という言葉で表していた。「馬が手に戻ってくる」か。面白い表現だな(●´ω`●)♪
命からがら障害飛越の練習を終え,今度は駈歩をしながら,目測で障害物までの距離を測る練習。蹄跡に置かれた一本のキャバレッティが目測の対象。
1,2,3……と,騎乗馬の歩数を胸の内で数える。
実際にやってみて思った。
ただ馬場を走っているだけのときには,カウントしてもあんまり意味はない(本当は意味があるのかもしれないけれど,とりあえず現時点のわたしにとってはそうだった)。
障害が見える場所に入ってから,「あ,このままだとあと2歩も行ったら障害ギリギリ!」とか思う。
つまり,割と障害直前にならないとスピードの調整のしようがない(´∀`;)
これ,本当は,もっと違うんだろうな……きっと('A`;)
しかも,馬の,前肢がさ……どのへんで踏み切ればちょうどいいの?
なんか今日は「ああ障害近すぎた!!」とか思ったくらいで指導員さんに「よし!」って言われた。
馬の顔が前に出てるから,肢の位置がもうちょっと後ろにあることに気付かなかったのかな。
加減が……全然……わからないよ……(T_T)
キャバレッティはこのあと垂直障害になったのだけれど,速歩で連続障害を跳ぶという苦難の練習をした後だったので,駈歩で距離を見ながら跳ぶのはすごく楽に感じた。
はあぁ~課題は多いなぁ~('д` ;)
馬と指導員さんに教えられながら,今日もレッスンを終える。
毎回のレッスンを「後がない」くらいの気持ちで取り組んでいきたいと,『徒然草』の一段を思い出しながら思った。
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或人、弓射る事を習ふに、もろ矢をたばさみて的に向ふ。師の言はく、「初心の人、二つの矢を持つ事なかれ。後の矢を頼みて、はじめの矢に等閑(なおざり)の心あり。毎度ただ得失なく、この一矢(ひとや)に定むべしと思へ」と言ふ。わづかに二つの矢、師の前にてひとつをおろかにせんと思はんや。懈怠(けだい)の心、みづから知らずといへども、師これを知る。この戒め、万事にわたるべし。
道を学する人、夕(ゆうべ)には朝(あした)あらん事を思ひ、朝には夕あらんことを思ひて、かさねてねんごろに修(しゅ)せんことを期(ご)す。況(いわん)や一刹那のうちにおいて、懈怠(けだい)の心ある事を知らんや。なんぞ、ただ今の一念において、直(ただ)ちにする事の甚だ難き。
(第九十二段)
【現代語訳】
ある人が弓を射る事を習うのに、二本の矢を持って的に向かった。師の言うことに、「初心者は、二つの矢を持ってはならない。後の矢を頼んで、はじめの矢にいい加減な心が生じる。毎度ただ当たりはずれなく、この一本の矢にて事を決すべきだ」と言う。わづかに二本の矢を、師の前で一つをおろそかにすると思うだろうか。(しかし)なおざりの心は、自分自身は知らないといっても、師はこれを知るのだ。この戒めは、あらゆるのことにあてはまる。
道を学ぶ人は、夕方には朝があるだろうと思い、朝には夕方があるだろうと思って、その時になってから身を入れてやればいいと心づもりをする。まして一瞬のあいだに、怠け心がある事を、どうして知れるだろう。いったい、ただ現在の一瞬において、やるべきことを直ちにする事の大変難しいことよ。
徒然草現代語訳つき朗読 より引用
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