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最近,よくする妄想に,迷い犬や迷い猫ならぬ 「迷い馬」が家に来ないかな……(*´∇`*) というものがある。

そうしたら捕まえて,すぐさま農協か畜産組合に走り,飼料を調達して,飼い主が現れるまで家で預かるのに。(そして「なかなか現れないねー(´・ω・`)」と言いながら飼い続けたい。)
削蹄師さんだって獣医さんだって近くにいる。
自宅前の畑にも余裕がある。なんなら小さい厩舎を建ててもいい。
あのあたりに小屋を建てて,このあたりに柵をつくって,ボロはこのあたりにまとめて……

準備は万端だ! さあ来い!.。゚+.(・∀・)゚+.゚

という気分で日々過ごしているが,「迷い馬」は一向に現れない。


先日バスで移動中に,自分がこんな妄想をしていることに気付き,わたし……小さい頃から何にも変わってないな……と愕然とした。

子どもの頃もよく,「家に動物が来ないかな」とぼんやり考えていた。
ある日突然,わたしの前にひょこっと姿を現し,それ以降ベストパートナーになってくれるという夢を見ていた。

考えてもみれば,わたしが動物と接するときは,いつもどこか夢をみている節がある。
夢を見て,関わりたくて仕方がなくて,無謀な接近を繰り返していた。

小鳥やリスを捕まえようと,手製のわなを仕掛けたり(かかったことは一度もないが),
近所の野良猫にエサをやって手懐けたり,
何故かヤマネが猛烈に欲しくて山に探しに行ったり(見つからなかったが),
キウイという鳥に惚れ込んで,絵を描いて友だちに紹介したり,
「ハトが手紙を届ける」というシチュエーションに憧れて,ハトを捕えようと試みたり(捕まらなかったが),
沢でフナやカニやメダカを取ったり,
池でイモリを捕獲したり,
カブトムシやクワガタやバッタやイナゴやトンボなんかは,もう言うに及ばず,
ハムスターの子どもが見たくてつがいで飼ったら,半年たたずに20匹以上に増殖するという恐怖体験をしたり,
親族と散歩中に,初対面の中年女性からモルモットを譲り受けたり,
祖母が飼っていた鶏が夜止まり木に跳び移る瞬間を見たくて鶏小屋の前で張り込みを続けたり,
父が拾ってきた子ウサギの世話をしたり,
迷い犬が家に居ついてしまったことも一度や二度ではなく,

動物に関する思い出は,数えだせばきりがない。


先日の従妹の結婚式でもらったメッセージカードに「いつまでも動物好きの小夏ちゃんでいてね」と書いてあり,それを読んだときは「えー? わたしって動物好きなのかな?(´・ω・`)」なんて思ったのだけれど,こうして経歴だけ見ると,すごい動物好きな人に見える。

ただ,わたしはあまり管理のよい人間ではなかったので,関わった動物たちが幸せだったかと言うと,そうではないような気がするのだ。好きで飼ったくせに世話をサボったことだって何度もある。
好きで好きで見守っていた気持ちと,かすかな罪悪感のようなものが,今も胸に残っている。

もっと,ああしてあげられたんじゃないかな。
もっと,こうしてあげればよかった。

関わった生き物たちは,死ぬにしろ人に譲るにしろ逃げるにしろ,すべからくわたしの元を去っていったのだけれど,自分が幸せだったかどうかは教えてくれない。
わたしのほうは動物と関わりたかったけれど,動物のほうはわたしとは関わりたくなかったかもしれない。
懐いてくれると嬉しくて,一緒に遊ぶのは楽しくて,良いと思える飼育環境をつくって眺めては自己満足して,それでも,ごめんね。あなたが幸せだったかどうか,本当の意味ではわからない。もしかしたら,わたしとは会わずに,人の手に触れない環境で一生を終えたほうが幸せだったかもしれない。

言葉を話さない生き物の幸せを考えるのは,大変なことだ。
「こうしたらいいかな」と考えたり,誤りに気付いて後悔したり。
辛い失敗もするけれど,それでも関わり,傍にいる。
子どもの頃と同じように,今も動物には夢をみている。


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